2002/09/04(水) 愛の執着駅。

メモやクラブで意見交換してるとその時々のキーワードが浮かんでくる。
2月ごろは「純愛」という言葉が飛び出した。
ちょっと前「痛い女」。
最初は「あの人イタイ」という話題だったのが、ふりかえってみると自分がいかにイタイかとわが身を愁うきっかけになった。自覚できるだけエライもん、と自分をなぐさめてみたりして。
でもって今「愛」と「執着」。
似てるんだ。
でもやっぱり違うんだな。
「こだわり」と「わだかまり」ぐらい似てるんだ。
でもって言葉にこだわりすぎると本質を見失う。
考えすぎるとよくないのね。

好き いっしょにいたい 離れたくない 離さない 誰にも渡さない
好きだから? 好き? うん、好き。
会えなくても愛してる?
もうにどと会うことがないとしても愛しつづけることができる?
相手の幸せを心から祈ることができる?
会えなければ消えてしまうもの?

さわれなくちゃいじくれなくちゃ愛玩犬とは呼べない。「愛玩」も愛の形なのか?
 「愛欲」もまた愛から出たものなのか。愛でたいと思うそれが愛?

愛している→あいたい→あえない→うらめしい
愛している→あいたい→あえない→それでも愛している

乗換えを間違えると目的地へつけない。
ほったらかしでも育て愛。強い愛。愛は強い。ほんとうは
それで用がなくなったらさっさと手を離すこと。

でも……
ああ会いたい。ぎゅっと手を握りたい。はぐはぐ