2003/01/01(水) ―裸の月―<最終回>
恋愛日記-秘密の恋愛,恋愛日記-恋の終わり,女性の日記-オンナの事情
裸の月
草に寝転んで 花に抱かれて
夜露に濡れる 裸の月
ふいに指先が ふれてほどけて
面影満ちるよ 裸の月
水に流しましょう 手を振りましょう
さよならさよなら 裸の月
さよならさよなら 裸の月
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一年間のご愛読ありがとうございました。
わたしは月へ帰ります、ってのは三月にやったね(笑)
この曲は日記のエンディング・テーマとして七月に作りました。
本人歌唱です。
この曲の収録されたCDが二月発売になります。
それに先駆け通信販売のお知らせを。
以下PRです。
本当にどうもありがとう。楽しかったです。
月子
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【ミートムーンからのお知らせ】
「裸の月」収録のCD
アーティスト名 時と哲学
アルバムタイトル およぐチワワおちるトンボ
(ジャケットイラスト/宮下昌也)
定価2500円(税抜)mm-02
【宣伝文】
■ちわわのココロ
ちよちよとぴょんぴょんとちろちろがミニマルだなぁと 第一印象
みょんみょんもありましたので木の音弦の音人の音音
音がリズムでリズムも音で心地よい
豪勢なミニマル ミニマルにエスニックの薫風
言い切って良いものやら わからないながらも気持ちが良いの
心地よいとは言いましたけれども
ココに安寧の地を見つけた とも
ココに安住の地を見つけたい とも
ヒーリングや癒しではなくてなつかしでもぜんえいでもなく
ハダカノツキが裸の月な時に人の心はコエが好きなのだろうと
ヒトノコエが好きなのだなぁと
コエはリズムでオトだと感じたのでした
犬カレー
■「時哲」を「散歩的音楽」として捉えてみたい。断定的に。ひとくちに散歩と言っても、そこに思い描く風景はひとつではなく、さらに言えばリスナーの数だけ散歩における外的風景・心象風景が無数に点在し、また交差する。このイメージはまさに「時と哲学」の音楽そのものであろう。例えば学校をサボっていつもの通学路を午前中にブラブラ彷徨う奇妙な感覚。入院患者が青空のもとで漠然と自分の来し方行く末に思いをめぐらせる複雑な心境。「このままホテルに連れ込んで×××」と企む男と「彼とならこのまま」と頬を赤らめる女のそらぞらしい川べりの散歩。自転車で来たことのない所まで初めて来てしまって急に不安になる子供。幼稚園から聞こえてくる園児の歌声に立ち止まり耳を傾ける老人。「ちょっと散歩に出てくる」と遺書を上着のポケットにそっと忍ばせる零細企業の社長。昼の公園で子供を遊ばせながら若い彼氏に夢中で携帯メールを打つ主婦・・・と挙げればキリのない様々な「散歩的風景」、それらの持つ外的・内的ともに心地よい違和感と、それらを優しく包み込む安堵感。病的に展開されてゆくこれらの音像は、「時哲」ならではの楽曲のポップセンスによって、どこかまろやかで牧歌的な快楽に次々と変換され、聴く者の心に素直に響くことになる。「時哲」の「音像と楽曲」の相関関係は、そのまま「病理と母性」と言い換えることができるような気がする。これが「時哲」の、そして良質な「散歩」の、核をなしているのかもしれない。
コマジュン(flowing days)
ミートムーンでは、このCDの通信販売を行っております。
ご希望の方は、代金2500円×枚数分を、
郵便局に備えつけの郵便振替払込用紙にて振込んで下さい。
入金確認後CDを発送致します。(税・送料サービス)
口座番号00160-3-113137
加入者名meatmoon
※通信欄にご希望の作品名と枚数をご記入下さい。
※郵便番号、住所、氏名をはっきりとご記入ください。
※個人情報に関するプライバシーは厳守いたします。
尚、振込手数料70円が別途必要となります。
●特典●
通信販売をご利用の方にもれなくミートムーンオリジナル缶バッチを差し上げます。通信欄にご希望のバッチの記号をご記入の上お申込み下さい。(期間:2003年1月末日まで)
☆このページで使用しているサウンドはファイルサイズを大幅に圧縮してあるためCDの音質と異なります。製品版はもちろんもっとイイ音です(^-^) この機会に是非お求め下さい!
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追記☆
古い日記をお読みいただきありがとうございます。
今と言ってる事たいして変わらなかったり(特に恋愛事に関しては、ほぼ一緒!!笑 でも相手が違うから見える景色も私の反応も違うのね、面白い^^)、
若く苦しかったと思ったり、
もうあまり若くもないことが苦しかったり
産みたくて産みたくてたまらなかったことを思い出したり、しました。(当時36歳)
しかしいくつになってもわたしはわたしだった!!
12月の中旬から下旬にかけての記事がすこんと抜けているのですが、探してみても見当たらないのでした。
CDまだ在庫あるので何かしらの方法でお届けしたいと思っています。
あと紙媒体にしたいってのもこの頃から言ってて、
いったいいつまで熟成させる気なのか、と!!
もうすぐ52歳になるけどまだ手をつけてないよ てへっ
2018/01/28
最近の日記はこちらです
2002/12/10(火)おいらのへなちょこサンタにキスを
もと、ぴっちぴちの月子でーす。
いえなにね、昨晩遅くに眠れなくって一月頃の日記を読み返したりなんかして、威勢がいいなあと。文章を書く喜びに満ち溢れてまして。書いたものを読まれる快感に酔い痴れてまして。状況的にはあまりかんばしくなかったようですが実生活は。とにかく日記はすごく生き生きしてますな。自分で読んでて面白いもん。あはは。最近はそれほどサーヴィスしてない。他にやることあった。でもとにかくもうすぐ一年たつ。やめずに来れたのはひとまず目出度いな。
ひとさまの恋愛事情に一喜一憂の今日この頃。自分のことを恋愛至上主義者であるなどとうぬぼれてきたがここへきて他の人の妥協を許さない純粋な恋愛態度を見るにつけ、あたしはぬるいなあなんてへこたれた気分になったりもしますが、やっぱり心の移り変わりは季節と同じでとめられないんだなあとつくづく思います。いくつかのまばゆい瞬間を、きりきりとした痛みを、共有できた(気分になれた)ことに感謝。
そしておいらのへなちょこサンタにキスを(遠くて届かないけど)
いっぱい
くれ!
2002/12/06(金)甘いお菓子には蟻がたかるものよ。
ハエのほうが近い?
そんな時はどう対処するか? 相手が虫だけに「無視」ってね(おやぢ落ち)。
甘い恋の香り(うぷ)には誰もが惹かれるものかもしれないわ。
そうそう、甘いばかりじゃないのよね現実の恋って。傷を負う覚悟もなく指をくわえて見てるだけ(ならまだまし)では手に入らない。「選ぶことは捨てること」。昔聞いた歌の歌詞。洗濯物干しながらふと思い出した。
歌や小説や映画じゃなく、リアルな人生を覗き見する快楽。それが他人の日記を読むということだと思うけど、読むに耐えるものを提供できる人って実は限られている。文章さえ書けりゃ誰にでも書けるってもんじゃないんだ。面白おかしい毎日を送っているから面白い日記を書けるというものでもない。その人が自分の毎日をどんな視点で映し、何を捨て何を拾い上げるか。個人によってテーマにそった編集作業がなされているわけで、たいがい今自分が一番興味のあることにフォーカスが当たっているものだ。自分の目がカメラなんだから当然だけど。
そして文章。
これがおそろしいほど人の品性をうつすのですよ。きっと本人が意識している以上に、無意識に表れてしまう。容姿や物腰や声色や服装や装飾品、そういう視覚聴覚からの情報がないだけに(プロフに写真載せてる人もいるけど)人格が剥き出しになってしまう。「なってしまう」って書いてますけど実はそこが面白いんであります。
ウエブ日記書きはじめて最初の頃はものめずらしく、自分からあれこれ読みに行きましたけど、今は自分が読んで気分の悪くなるようなものは読みません。日記を通して知り合って何かしら関わりを持った人たちの毎日をおすそわけしてもらってます。関わりというのは実際に何度かお会いしたり、という意味です。前にも書きましたけどわたしにとってウエブ日記というのはバーチャルなものではありません。顔が見えないから「何書いてもいい」とは思いません。
ここ数日心がざわざわしてるのは何でかな? と思ったら、実はわたしは感動していたのでした。日記を通して知り合った人の行動を、これまた日記を通して知ることになり、わたしはその人のことを「素直な文章を書くいい子」という風に評価し何かと贔屓してましたので他人事とは思えずにいるわけです。
「いい子」ってのは「意地悪の出来ない」もしくは「意地悪するのが下手」な子、という意味です。というのはかつて有志数名で、ネット上である実験をやっていたことがあるのですがその時の彼女の印象です。実験というのはナンパメモの研究で、ここライコスでメンバーズになってプロファイルに登録すると、女性の場合、いわゆるナンパ目当てのメモが送られてくるのです。純粋に日記を書く場所として利用していたわたしは最初のうち驚いたり不愉快になったり気持ち悪い思いをしましたが、知り合いが増えると共通の人物の名が挙がり、だったらいっそ、と数人でメモ受信用に別プロフを立上げ情報交換をしていたのです。まあ、遊びです。しかもあまりお行儀の良い遊びとは言えません。でもかなり白熱しました。あまり目に余る輩についてはみなで容赦なく言いたい放題にしていました。そんな時でも彼女の言葉は悪どくなりきれないというか、悪口に向いてないというか、攻撃していてもどこか可愛らしい。(わたしたちがえげつなさ過ぎという見方もありますが)そんな時、ああ彼女は根っから「いい子」なんだなあと思っていたのです。「とりすましたおりこうさん」という意味ではありません。
落ち着いたらまたきっと会えると思います。
という風に、日記を書いてて、いい思い、楽しい思いを他にもたくさんしているので、甘いものにたかるハエの役目しか思いつかない人はお気の毒だなあと、思ったり、もしますが同情する気はまったくありません。ああお気の毒お気の毒ベシ!!(とハエたたきで潰す)
2002/12/04(水)鏡より、惚れた男の瞳に写る自分を見ていたい
―――あなたは1日に何度、鏡を見ますか。統計では“女性は1日に10回以上鏡を見る”となっていますが、鏡を見るたびに「私は女?」と問いかけ、「女」という字を3回鏡になぞってみてください。さらにあなたがいちばんのチャームポイントと思うところをジーッっと見つめます。こうするだけであなたの女性ホルモンの分泌が高まり、女性度アップも間違いなしです。―――西川潔『不妊症なんかこわくない』より 1995年双葉社
これが件の。うっとり大作戦。そりゃあむっつりしてるよりはいいかと思いますが。自己陶酔できるための手段も人それぞれだと思うのですよね。やっぱし鏡より、惚れた男の瞳に写る自分を見ていたいわ。うっふん。
まあそれも今は事情が許さず。5時から昼寝なんて変則睡眠パターンでやることはあるけど深夜につきプリンタうるさくて稼動させられず。夜食に肉じゃがもどきを温め直して食べて眠くなるのを待っている。午前1時32分。
はがれ落ちる子宮内膜をナプキンで受け止めゴミ箱に捨てる。トイレに流す。月のもの。仕事先にわたしと月経周期が同じ子がいる。「生理はじまっちゃって」「わたしもだよ」。それから何ヶ月かたち早く始まった月もあれば遅めに来た月もあるのだがまた「今日二日目なんだよね」「あ、わたしも」となる。家人は「もう治った?」と聞くのだが病気じゃないのだからその言い方はやめてくれと何度言っても治らない。男には月経はないけど睾丸周期というのがあるんだって、寺門琢己の本に書いてあった。男だって月の影響を受けているのだ。
月にいる男に会いたい。会ったらいいこいいこしてもらうんだ。よくがんばりましたね、とほめてもらおう。だからお仕事がんばる。
という使い方は、まる。間違っても「がんばれ」とは言わないで下さい。沿道の住民じゃないんだから。マラソンレースじゃないんだから。男が言うのは、まる。自分で言うのも、まる。がんばろ。もうひと息。今日はもう寝るけど。
ぐんない
2002/12/3(火)今月もお呼びでなかったわたしの子宮内膜。
まあしかたがない。へこたれず前向きに努力していくしかないわ。昨日薬局で婦人体温計と仁丹が出してるピンク色のノートを買った。やっぱピンクよね。体温計のプラスティックケースのふたもピンク。同じメーカーの一般用はブルー。ピンクは女性ホルモンが出やすい色だと言うわ。新鮮な肉もピンク色をしてるしね。自分の服や持ち物にピンクは選ばないけど、これくらいならまあ、いいか。
不妊症について書いてある本を読んだ。女性ホルモンをたくさん分泌するために、毎日鏡を見て陶酔しなさいって書いてあった。うーむ。それはまだいいとしよう、自分の顔を見ながら鏡に「女」「女」「女」って指で3回書きなさいって……。ギャグ? とでも受け流さないと耐えられなかった。まじめな本なのに。わたしに足りないのは女性ホルモンなのか。だからって、注射は好かん。薬もいや。自力で分泌するしかない。鏡を見つめながら「あたしはオンナ……(うっとり)」。無理だなこの方法わたしには。
窓を開けると猫がいる。生猫。いいな。動いて、生きてる。午後の短い陽だまりを求めて集まる。洗濯機の上に大小5匹がかたまりになっていた。エアコンの室外機の上にも3匹。黒くて白いの、白くて黒いの、虎白、三毛、真っ黒なの。いつも写真にとりたいな、と思うけどいつでも生猫が見れるならその必要もないかもしれない。寝てる猫の後頭部(耳と耳の間)とかたまらなく好きだ。猫の写真集を見るのが好きだった。
目的を果たすためであっても気に染まない方法はとらない方針。これからもわたしはわたしである。素直に偏屈に生きる。それだけだ。
2002/12/3(火)心で応援するってどういうことなんだろう。
心配したところで足しにはならない。いざ助けが必要な時さっと行動できるように準備しておくことだろうか。的確なタイミングではげましの言葉をかける? でも自分がピンチの時や落ち込んでる時に思うことだけれど、タイミングやピントのずれたはげましの言葉って気に障るんだよね。それがいやだからわたしは誰とでも仲良くはしない。間口を狭くしてる。だからさびしーのはがまんだ。ありがたくないのにありがとうって言いたくないんだもの。
何をしてあげられるだろう。わからなきゃ何もしないことだ。よけいなこと言わないことだ。かけるべき言葉を持っているのは豊かで深い人だな。いわゆる世間で使われる紋切り型のはげましの言葉はいざって時役に立たない。ああ違う。こんなことを書きたいんじゃなくて。
もうすぐここで日記書きはじめて一年だ。書くことの、読まれることの、魔力や魅力を味わった。無力さも知った。プロフェッショナルではない、それでも愛やサービス精神を発揮しているパーソナルな文章たち。日記を読むのはもともと大好きだった。書くのも。夢中になった。何人かの人たちと知り合った。ここで書くのをやめてもきっとまた会うだろう人たち。わたしにとってウエブ日記はバーチャルなものではない。
いい時もあるしわるい時もある。
そして、何がよくて何がわるかったのか、もっと時間がたってみなくちゃわからないこともある。時間がたったってわからないこともある。
これを読んでいる人(わたしも含む)の共通点。今生きていること。生きることだ。
なまけたりへこんだりずるがしこく立ち回ったりごまかしたりうそついたり不貞寝したり地団駄踏んだり傷ついたり転んだりしゃがみこんだり吐いたり泣いたり泣けなかったりしながらも。大丈夫きっと大丈夫。わたしが好きな人たちの願いがみんなうまくいきますように。叶いますように。
2002/11/30(土) いいなあ日記って。
ひさしぶりに人の日記を読んでそう思った。
部屋の掃除に夢中になるあまりややヒステリック気味に物を捨てて捨てて、でもそうでもしないと古いノートなんかはなかなか処分できないから、今はすこし落ち着いた。読み返したら捨てられなくなるからぱらぱらとめくるだけにする。苦しい気持ちで書いていたころのノートはちらりとのぞくだけで苦しくなる。新聞紙にくるんでごみ袋へ。ばいばい。嘔吐完了。
いつでもノートが必要だった。苦しい気持ちを吐き出す場所が。つらい思い。そんな自分のゲロまでとっておくほど「恋」に執着していたんだな。まだ大量の写真がある。それも近いうちに処分しよう。そうだな今年中には。
それでも好きにならなきゃよかったとは思わないし出会わなけりゃよかったとも思わない。楽しいこともたくさんあった。もちろんしょうもないことも山程。
誰かが誰かを好きになる必要とする会いたいと思う、切実に、恋をする。
やっぱりいいものだ。
ご都合主義的お手軽不倫でファムファタールな恋愛気分を味わってる人や、エロチャットオナニーで純愛気取ってるぶりっこ親父とは、完全に、別物だ。インスタントコーヒーや即席ラーメンよりも本質とかけはなれている。
恋は都合の悪いものだ。そしていいわけできないものだ。
でもそれなしではしょうもないものだ。そんな気持ちを再確認させてくれた日記たちに感謝。
やっぱ後味でわかるものだわ。いいなあ、本物の恋は。