2002/11/29(金) あと1ヵ月だ。

もうすぐ12月。
バイト先でサンタの置物が腰を振りだす頃だ。
有線で「サンタがママにキスをした」をまた繰り返し聞かされるのだ。冒頭の「ワーォ! なんちゃらかんちゃら(英語)」っていってるがきんちょは今頃どんなおっさんになってるのかそもそもまだ生きてるのか毎年あれを聞かされる度にどうでもいいことを考えてしまう。それが25日過ぎるまで続くんだな。頭痛。

バイトと別に手掛けてる仕事がこのままのペースだと年をまたいでしまいそうだ。自分のペースがのろいんだけど。あたしが悪いんだわ…と思うと前へ進めなくなるのでこれでいーのじゃ! とふんぞりかえっているが内心はそうとう焦っている。でも自分のペースでしか進めないんだな。そのかわり部屋は片付いたぞ。逃避。

引っ越し先も整えつつ、ああ、冬眠しちまいてえなー
その前に鍋だな。暮れのお楽しみ。
なのに頭痛。早寝しろって。

2002/11/27(水) 「お」仕事

なんかね。
ずっとうっすら気になってて。女性の日記カテゴリの「お仕事」って。
丁寧語の「お」じゃないでしょこれ。
日常雑記では「仕事・業界」ってなってるもんね。

気分転換に日記でもと思ったら今日は特になんだか気になって、考えてみたらさ「お遊び」とか「お受験」とかある特別な意味をこめて「お」をつけることってあるなーと思い当たった。なんかプチ馬鹿にされてる感があったのはそのせいだったのだ。

今自分がやってること、これは仕事というよりは……、なんだろう「ライフワーク」? 稼ぎにはならんから「ジョブ」ではないわな。まあ、ふんころがしがふんをころがしてるようなもんです。習性。違うか。

おととい買い求めたベルギー製の分厚い板チョコを齧りながら作業。この甘いもん欲求は生理前だからなのか、むむむ。口惜しや。(ハンカチの端を奥歯で噛みひっぱる)

夕べ早々に布団に入って寝てしまうと十一時ごろ電話で目が覚めた。別れた男と差し向かいでしゃべっている夢を見ているところだった。「食べに行くんなら誘ってくれたら一緒にいったのに」向かいのラーメン屋でひとりでメシを食べてきたらしい。大量の洗濯物がなびいていた。旅館か。通りは夕暮れだった。新しい恋が始まる時の勢いを横目で見ながら自分の中の思いがまだ片付いてないことを知る。まあしょうがないよな。電話で仕事に関する話をしながら恐ろしく不機嫌な声や投げやりな対応をしている自分に気づくが、まあそろそろ知り合って2年たつんだもんなしょうがないよなとあきらめ気味。来年は合作じゃなく単独作を作るべきかとも思う。もちろん手伝ってもらうけど。

妊娠→バイト辞める→長期録音旅行→単独作発表→出産→育児

来年の計画でーきたっと。
んなうまく行くかいな!?

2002/11/23(土) 『作品』――残したいもの

『作品』――残したいもの

部屋のダイエットにいそしむあまり物的拒食状態。命に別状はないが、近所に出来たばかりの百円ショップの棚の間を出かけていっては徘徊している。大して役に立たない細々したものを気まぐれに買う楽しみってあると思うんだけどそれがなんだか恐ろしく感じて百円のものを買うか買わないかで吐き気がするほど迷い悩み結局何も買わずに部屋へ戻る。

自分の部屋にこだわりすぎるんだな。

部屋は作品じゃないのに。

麻紐でくくった古本の山。昔通販で買ったパネルヒーター。ミシン。スライドプロジェクター。やっと直ってきたCDプレーヤー(これは同居人の持ち物)、ガラパゴスゾウガメの置物。自分で作った90cmのテディ・ベア。編みかけのマフラー。緑の無地のカヴァーをかけた座布団。山吹色のカーテン。楽器と録音機材。父のお下がりのプリンター。母のお下がりの裁縫箱。写真の引伸ばし器(35ミリ~6×6まで使えるのででかい)。コピーで作った小冊子。売るほどあるCD。売るほどあるマグカップ。拾った文机。拾った木の座椅子。拾ったファクシミリ付電話機の子機。風呂敷で包んだ服や靴下。今膝の上で打ってるこのパソコン一式。

部屋はわたし。あまり誰も遊びにこない。

産み出すことにともなう苦しみはそれが物であっても、ある。でも残したいから作品にする。残れるかどうかは作品の強度にかかっている(運、幸運、強運)のだが、そっから先はゆだねなければならない。わたしはかかえこみすぎるな。運命。うんめい。うんめえ。そりゃそうと現実はトラブルに満ちているということをひしひしと再確認。

日記は作品?

さわれたほうがいいな。いつか捨てることになるのだとしても

2002/11/18(月) 近所の猫。

毎日夕方になると向かいのマンションあたりで猫の声がする。
「にゃお~ん、にゃお~ん」って。
そのあまりに猫々しい鳴き声に、
「おまえは猫か!」、と
つっこみたくなる。
いや、猫なんだけどさ…

こんなわたしであるからテレビドラマを楽しむことはできない。
ステロタイプ、典型というものに用心してしまう。
笑い飛ばさずにいられない。

マリリン・モンローは好き。
でもそのそっくりさんは嫌い。

下北沢でスナフキンの格好をして歩いている人を見た。
そっくりそのまま誰かの格好の真似をする、
それでその人に近づいたような気になる。
実は最もスナフキンからは遠い人。
そういうことです。

2002/11/17(日) あわてない。でも、あきらめない。

素敵。床が、床が見えてきたわ。

片づけ片づけと言いながら物に埋もれて暮してたけど大分片づいてきた。掃き掃除も楽になってうれしい。掃除機も持ってるけどほうきで掃くのが好き。天気の良い日に布団をぱんぱんするのも好き。

銀杏ご飯を炊いている。

欲張らないようにしようと思った。いろいろ。
頑張らないわけにはいかないが。

容赦なく物を捨てている、が、もみじの小枝はとっておく。センチメンタリスト。

遠くで誰かがいがみあってる。女の争いに首をつっこんじゃいけないって小学生の頃に学ばなかったのか。まったく仲がいいなあ、みんな。

まだ処分しなきゃならないものはたくさんある。気を抜かずに行こう。「あきらめが肝心」ってどういうことだろう。執着しないってことかな。あきらめないわ、わたしは。あきちゃうことはあるけど。

さ、ご飯ご飯。

2002/11/16(土) 最初の記憶→芋づる式日記

わたしのはと言えば、
苦労ちゃんといっしょで嘔吐。
シャボン玉のストローでシャボン液を飲み込んでゲロったのがたぶん一番古い記憶で2歳か3歳の頃。
わたし的にはものすごいピンチだったがすぐに親が飛んできてくれた。
この時住んでいた貸家は風呂がなくて大家さんの所へもらいに行ったり庭にすっぱくて食べられないぶどうが成ってたり当時はやっていたらしい熱帯魚を飼っていた水槽の水を替えているところなどを覚えている。3歳の時に東京へ引っ越した。

平和でたいくつであるということのありがたみがわかるようになったのはきっと最近のことだ。わたしはとてものどかに育った。じぇりたんは大変だったねぇ。だからこそ今のじぇりちゃんがあるんだね。