2002/12/3(火)心で応援するってどういうことなんだろう。

心配したところで足しにはならない。いざ助けが必要な時さっと行動できるように準備しておくことだろうか。的確なタイミングではげましの言葉をかける? でも自分がピンチの時や落ち込んでる時に思うことだけれど、タイミングやピントのずれたはげましの言葉って気に障るんだよね。それがいやだからわたしは誰とでも仲良くはしない。間口を狭くしてる。だからさびしーのはがまんだ。ありがたくないのにありがとうって言いたくないんだもの。

何をしてあげられるだろう。わからなきゃ何もしないことだ。よけいなこと言わないことだ。かけるべき言葉を持っているのは豊かで深い人だな。いわゆる世間で使われる紋切り型のはげましの言葉はいざって時役に立たない。ああ違う。こんなことを書きたいんじゃなくて。

もうすぐここで日記書きはじめて一年だ。書くことの、読まれることの、魔力や魅力を味わった。無力さも知った。プロフェッショナルではない、それでも愛やサービス精神を発揮しているパーソナルな文章たち。日記を読むのはもともと大好きだった。書くのも。夢中になった。何人かの人たちと知り合った。ここで書くのをやめてもきっとまた会うだろう人たち。わたしにとってウエブ日記はバーチャルなものではない。

いい時もあるしわるい時もある。
そして、何がよくて何がわるかったのか、もっと時間がたってみなくちゃわからないこともある。時間がたったってわからないこともある。
これを読んでいる人(わたしも含む)の共通点。今生きていること。生きることだ。
なまけたりへこんだりずるがしこく立ち回ったりごまかしたりうそついたり不貞寝したり地団駄踏んだり傷ついたり転んだりしゃがみこんだり吐いたり泣いたり泣けなかったりしながらも。大丈夫きっと大丈夫。わたしが好きな人たちの願いがみんなうまくいきますように。叶いますように。