2002/08/07(水) ⑤8月3日、今日は帰る日。

「起きれますか?」

早朝5時。朝日を見に行くという。「耳をすませば」ごっこをするのだという。うん? そんなシーンあったっけ。劇場で見たはずだがよく思い出せない。なんだかずっとジブリづいてるな。「僕の行動力は時としてはた迷惑な程」うん、今回はいつになく行動的だ。

3時間ほどで目が覚めてしまったTはそのまま30分ほどカウントを刻んでいてまた一時間ほど眠ったが今度は本格的に目が覚めてしまったようだ。「ほんとはあと30分ぐらい早いとよかったけど」昨日から着っぱなしの部屋着兼寝巻のノースリーブの膝丈のワンピースの下にブラとパンツ(昨日はブラだけで買い物に出て後で驚かれた。今回は二人乗りで転んだりしたら困るのでパンツも装着)をつけて外へ出るともうすっかり夜は明けている。薄曇なので朝日は見えるのかどうか。服の生地が薄いのでバスタオルをたたんで荷台に敷く。火傷した指が痛むので保冷材も持って出た。結局到着以来発熱はしなかったが保冷剤は何かと役に立った。

交差点まで出ると大通りを南港に向けてまっすぐ自転車を走らす。まだ眠くてぼんやりしている。どれくらいで着くのか聞く。あんまり遠いと疲れそう。わたしは荷台にしがみついているだけなんだけど。「前にトイザラスに行ったでしょ、あれくらい」とT。あの時は歩いて行ったのだ。結構歩きでがあった。帰りは地下鉄を使った。自転車なら十五分くらいか。まだ日が昇ったばかりで空気は冷たい。「今のタイミングを逃すと散歩にも出れないから」自転車をこぎながらTが言う。今日の午後にはもう帰るからね。

途中ローソンに寄って飲み物を買う。Tは冷たい缶コーヒー。わたしは温かいお茶にした。あとプレーンヨーグルト。これは部屋に戻ってから食べる。酪連だったかな、四国の酪農メーカーのヨーグルトをこの前食べて、酸っぱくて、なつかしい味でおいしかったから。Tは苦手だと言ったが。

目的地はめがね大橋。

階段の手前で荷台から降りる。「映画のロケとかできそうでしょ」階段を登りながら周囲の景色を眺める。Tのバイト先も見下ろせる。工場から煙が立ち昇っている。「ジオラマ好きにはたまらない」とT。広い河口。はしけを引く小さな船がゆっくりゆっくり進んでいる。なるほど大きな橋だ。遠くまで見渡せる。「渡りきっちゃうとね戻って来れなくなるから」橋の反対側は大きな螺旋階段になっていて下っていくのは工場に向かう貨物トラックばかりのようだ。「どっちが海?」「あっち」。海遊館に行く途中に見えたニュートラムの高層ビルが遠くに見える。7年前に行った上海の景色を思い出す。

船で中国まで行って揚子江を上って上海港から上陸したのだ。あの時も夜明け頃に着いた。「上海バンスキング」というお芝居の関連ツアーだったのですよ。ちなみに行きに3日滞在3日帰りに3日という9日間のツアーだけれどそのうちの6日間は船の上という。でもね豪華客船だから広ーいの。料理も毎回おいしかった。毎晩のようにコンサートもあるのよ。一番安い船室でなんとかぎりぎり参加できたんだけど、あれは贅沢な時間だったな。

めがね橋の真中まで来てTが自転車を止める。曇っていて太陽は見えない。缶のお茶を飲む。大きなトラックが通るたび橋はたわむように上下にゆれる。交通事故で死んだらしい男の恋人がガードレールに書き残したメッセージを読む。排気ガスとほこりでどろどろになった花束の残骸が風で飛ばないようにロープやガムテープでぐるぐる巻きにしてある。写真もはってある。キッス人形みたいにちゅうをしているカップルの写真。空き缶のプルトップに挟んだタバコの殻。とにかくほこりがすごくてどれくらい時間が経っているのかわからない。あんまりじっと見ていたらTが来て「憑いて来ちゃうからやめなさい」と言われる。そういうこと言うとかえって怖くなるじゃないですか。

雲の切れ間からほんの少し太陽がのぞいた。もうかなりの高さにあって今日も暑くなりそうだった。「行きましょう」とTが言い、また荷台に乗って橋の上を走る。行きに追い抜いた杖をついた小柄な老人が先方に立っていた。側を通り抜けようとすると杖をさっと出して行く手を塞ぐ。自転車を止めるT。「これは何かね」おじいさんが杖で指した先には黒いゴム板が落ちている。「さあ、何でしょうねえ」と明るく答えつつもなんだか胸騒ぎがする。巾が15センチ長さが70センチぐらいあるそれを老人は杖でいじっている。「トラックの部品が落ちたんじゃないすかね」Tが答える。老人が杖の先でゴム板をくるっとひっくり返すと全体に鋭いビョウがいくつも突き出ていた。思わずそれを振りかざして老人が襲ってくるという想像をしてぞっとした。ちょっと間をおいて「行こうか」とTに小さな声で言ってその場を離れた。

「ものすごいスピードで追ってきたらどうします?」

そういう怖い事を言うな。ちらっと振り返るとまだ橋の上に立っている老人が小さく見えた。あのおじいさんはあんなにゆっくりしか歩けないのに一体どこから来たのか、橋に住む霊じゃないのか、若いときにこの橋を作った職人なんじゃないのかと老人のうわさをしながら来た道を戻る。階段の傾斜を二人乗りのまま下る。今ブレーキが壊れたら、とかまた物騒なことを言うT。大通りは蝉が目を覚まして至る所で鳴いている。街路樹の枝を目をこらして見るが見つからない。唯一見つけられたのは地面の上で鳴いている奴だった。

部屋の前まで戻ってくると「ちょっと待って」とドアを開けたところにしてある盛塩をつまんで肩越しに背中に投げるT。頭ごしにもちょいちょいと。わたしにも塩を振る。こういう時のための塩、お清めだそうだ。

並んで朝のテレビを見る。ギャツビーはこの時だったかもしれない。ポンキッキやらアクビちゃんやら。ずっと冷やしていたら火傷の痛みも大分引いてきた。2階へ行きTの背中にマッサージを施す。手が痛いから足を使ってもむ踏む捏ねる。終いにはわたしも寝転んでTに対して直角になるようにからだの位置を調整し両足のかかとを使って背中の上をどんどん叩いていた。「気持ちよくてもういいですと言えない~」とT。これでもかとばかり、かかとでこめかみをぐりぐりすると「もうなにもかも気持ちいい」と目をつむったまま身をまかせているので足の裏全体を使ってTの頭骸骨を踏みしめてみた。わしゃ仁王様か。

「早起きしてよかった」

とT。今回の滞在ではセックスしているよりマッサージしている時間のほうが長かったのではと思えるほどいつまでもからだを捏ねくり回していた。2日目は足を重点的にもんだしこの日は胃の裏側が硬くなってたから背中をたくさんもんだ。お返しにとツボを押してくれるもの気持ちがいい。離れているとこれができないのがつらいところだ。

眠って起きるともうあまり時間がなかった。コンドームの最後の1個が途中で破けてしまい「中で出したかった」と切ない顔をしながらTが自分でイクのを見届けてから帰る仕度をする。一緒に飯でも食うために電車の時間をずらそうかと思い時刻表をめくったが、Tが帰れなくなってもいけないし、というので予定通り発った。地下鉄の改札まで見送ってもらう。

14時00分大阪発新快速長浜行き15時18分米原着15時28分米原発新快速豊橋行き17時23分豊橋着ここでなぜか予定より速い電車に乗れてしまう。発車が遅れていたのか。17時未明豊橋発18時未明浜松着18時11分浜松発19時22分静岡着19時34分静岡発22時39分東京着。中央線に乗換える。阿佐ヶ谷は七夕祭だった。

あちこちで夏祭りや花火大会があったようでゆかた姿の人を多く見かけた。米原の乗換えの時にホームの立ち食いで冷やしうどん300円を食べたが前に食べたよもぎそばの方がおいしかった。つゆはいいけど麺がだめ。豊橋きしめんを食べたかったけど時間なく断念。刻んだ油揚げと青ネギがたくさんのってておいしいのだ。280円か290円。これはまた今度。静岡で途中下車して駅ビルの食品売場で塩辛をいろいろ買った。後から食べるとイカの白作りが程よい甘さでおいしかった。そういえばこの下駄は去年寄り道してここの土産物コーナーで買ったものだった。最初は一時間後の電車にしてゆっくり見ようかとも思っていたのだが(去年家人に好評だった「かつおのへそ」も買いたかった)10分後の電車に間に合いそうだったのであわただしく駅へ戻った。行きの始発もそうだったけどリクライニングできる一人掛けが左右2列づつ並んだ新しい車両で(夜行列車のムーンライトながら号と同じものだと思う)シートを倒して寝ながら帰った。

自分の部屋に戻って着替える。

バッグから部屋着を取り出すと、Tから「おじいちゃんのタンスの臭いがする」と言われたそれにはしっかりTの部屋の匂いが移っていて思わず顔を埋めてしまう。何度も匂いを吸込んでからそれに着替え「無事ついた」とTに電話をした。

おわり。