2002/08/11(日) 8月10日見舞いへ行く。

のんびり後遺症を楽しんでいる場合ではなくなった。

胃痛が続くというメールを数日前からもらっていた。今度は腸が痛むというメールが来てどうか倒れないでねと返信したら翌日虫垂炎だったと朝10時にメール。電話もつながらず心配がつのりネットで虫垂炎を調べ入院するのか手術はするのかメールで問うたらそく入院手術だったそうでそりゃよっぽど痛いのをがまんしてたんだろうと思うと不憫で涙が出た。詳しくは友人に聞いてくれと電話番号が添えられていたが通じず共通の友人に携帯番号を教えてもらうが留守。最後の手段で実家に電話しおじいさんに入院先の病院の名前を教えてもらいネットで検索地図と番号を控え家を出て11時5分の電車に乗った。母上が駆けつけ付き添っているというから大丈夫なのだがわたしが大丈夫じゃなかった。じっとしていられないので顔を見に行くことにする。

23時40分東京発の小田原行きにのってそこから自由席になるムーンライトながら号に乗換えるつもりだった。夏休み指定席券はよっぽど前からでないと手に入らない。東京行きの快速が終わっており各駅停車でそれに1分差で間に合わず仕方なく23時43分発のながら号に乗り(ペットボトルのお茶150円)アナウンスにしたがって次の品川で臨時列車の大垣行きに乗り換えるとこれが凄まじい混みようで先が思いやられたが引き返すつもりはない。結局朝までデッキの所から先には入れず最後は靴も脱ぎ膝を抱えて自分の荷物の上にしゃがんでいた。かつて利用した時「難民列車」と名付けたものだが今回「囚人護送列車」に昇格。この状態でトイレに行きたくなると我慢するのは地獄なのでお茶は飲まず口にほんのちょっとずつ含むだけにしておく。熱さもさることながらふとただならぬ臭気に目を開けると男の脇(しかもTシャツ肩まで腕まくり)が目の前にあったりすね毛が擦れたり厚底履いた女に踏まれたり(ギャツビーの汗拭きシートが気付けの役に立った)それでも浅く眠ったり変な夢を見たりしながら5時55分終点大垣に到着。降りてきた人がホームに溢れる。途中でながら号を追い抜いている。6時発姫路行きに乗り途中座れてからは眠り続けて8時34分大阪着。

こんなに早く着いても仕方ないのだがとにかく来たかったのでよしとしよう。5歳の時に盲腸の手術をしている家人にはたかが盲腸で見舞いとは大袈裟なと言われつつも仕事が休みとあっちゃじっとしていられないのだからしかたない。心配しながら連絡も取れずめそめそ泣いているよりは動いているほうがどんなにかましである。ドトールでコーヒーとホットドッグ(Sサイズ190円レタスドッグ240円)の朝食。マスタードがかかりすぎでスカートにどろりと垂らしてしまう。どう考えてもかけ過ぎだよほっぺの赤いお姉ちゃん。

梅田の地下をさすらい9時過ぎに病院に電話。面会は2時からだという。3時の電車には乗らないといけない。ふむ、少し早めに行くとして会えるのは15分ほどか。5時間もあるのでしばし途方に暮れるが映画でも見ることにする。本屋でエルマガジン(330円)買ってさっきのドトールの隣の場末っぽい喫茶店でコーヒー(モーニング価格230円)を注文。難波で10時20分からの「猫の恩返し」を見ることにして席を立つ。あまり時間がない。いくら時間つぶしだからって途中で出るのはいやだしな。せっかくなら最初からちゃんと見たい。(地下鉄230円。大阪の地下鉄運賃は高い。東京でいえば都営なみの値段だ。営団で230円といったら相当遠くまで行けるが大阪は初乗り200円で駅みっつ位先からはもう230円になる。)

敷島シネポップ3(一般1800円。後で金券ショップで東宝の鑑賞券を買えばよかったしまったと思う)。スターウォーズエピソード2の初日だったせいか「猫」は空いていた。もうなにも難しいことは考えずただボーっと見る。別に泣かせるシーンでもないところで涙が出るのが可笑しい。十年以上前にもひとりで大阪に来て時間潰すために映画を見たのを覚えている。「非情城市」を続けて二回も見た。台湾映画だったか。

映画が終わって外へ出ると真昼の陽射しに目がくらむ。お腹が空いてるような気もしたけれど何か食べる気分じゃない。映画館のロビーに流れるポップコーンの匂いは強烈だったが。微妙に時間があり道具屋筋でバイトしてる知り合いの所へ顔を出して驚かせようかとも思ったが何で来たのか云々を説明するのがそして大丈夫だと思うんだけどねなどと前向きな建前を発言するのが嫌でやめた。高島屋の地下で見舞いの品を選ぼうと思ったがなかなか決められず無意味にさすらってしまう。結局果物売場で桃(3個800円)を包んでもらったがデパートを出て地下鉄の駅に向かう途中で日持ちのする菓子にでもすればよかったとすぐに後悔する。いやこういう状態になると結局何を買ってもきっと後悔するんだな。だってやつに対する贈り物というより付き添いの母上を意識しているのだもの。手ぶらじゃいけないだろうなと。最初は無難に花とも思ったがそんなに長期入院になるはずはないだろうし水を替えるのも手間だろうしなぜか花を買うのは照れ臭かった。楽屋を訪ねるわけでもないし。(地下鉄230円)

地下鉄の駅からは思っていたよりやや遠く5分以上歩いた。街路樹はやせていて枝ぶりも何もあったものではなく歩道にはまるで日陰がない。やっと病院が見える。意外と小さくロビーには老人ばかり。みなテレビで甲子園を見ている。受付のこれまた年配の女性に部屋を聞きベンチで汗が引くのを待つ。自販機で紙コップの冷たいお茶を買う(80円)。縦長の大きな柱時計が1時半を打つ。時計の長針を見ながらじっと座っていた。5分たってから立ち上がり4階まで階段で登った。受付で言われた通り看護婦さんの詰め所に声をかける。面会時間より早いんですがというと患者の名前を聞かれそれを伝えると大丈夫ですよどうぞとその若い看護婦さんの笑顔になんとなく救われる。

6人部屋でドアも開けっ放しで他の入院患者さんも不在だったりベッドに腰かけていたりとにかく老人ばかりだった。奥の窓際の右側に寝ていた。顔を見るとああとにかく気が済んだと思った。想像しているのがなんだかつらいので見てしまえばそれ以上悪い想像はしなくてすむ。午前中は具合良くて起き上がったら熱が出てきたと氷枕を首にあてていた。ベッドの端から点滴とおしっこの管が出てた。「ごらんの通りで何のおもてなしもできませんが」と妙な気を使うところは母親ゆずりなのか聞くと母上は買い物に出ていると言う「もうすぐ戻ると思いますけど」今回の見舞いは他の用事で来てたまたま寄ったということにしてくれと言う。そうでないと母上の性質上恐ろしく気を使わせ面倒なことになるのだそうだ。

さっきとは別の看護婦さんが様子を見に来る。カーテンを閉めていろいろチェックをしている。窓の外を見る。古い家並みが目に入る。屋根に登りなにやら工事している人がいる。ひどく暑そうだ。体温は38.3度「しんどいです」それじゃ座薬を入れることにしましょうと小柄でぽっちゃりした看護婦さんが言う。チェックが終わるとまた折りたたみ椅子に戻って話をした。こんな時でもわたしは聞き役で無理してしゃべらなくてもいいよと言っても性分からか気遣いか話し続けるのに「そう」とか「まあゆっくりしたら」とか短く相づちを打ちながら耳を傾けていた。さすがに時々つらそうで「痛い」と身をよじったり目を閉じてじっとしたりしていたので薄いまぶたの裏で黒目が動くのを見たりしていた。

2時を10分ほど過ぎて電車の時間があるからと腰を上げた。母上は戻らなかった。拍子抜けだが社交辞令を言わずにすみ少しほっとした。前に一度電話で話したことはあるけれど。右手の中指と人差し指の関節の所で額と手の甲にちょっとだけ触れて病室を後にした。

暑い中を地下鉄の駅まで歩く。もっと近い私鉄の駅があるそうだが迷子になるとアウトなので来た道を戻る。(270円)暑いと白血球の中の何とかがどうにかなって虫垂炎になりやすくなるのだとネットで読んだ。最初に胃(みぞおちの辺り)が痛くなり次に腸にくるというのも典型的な症状らしい。15時00分発新快速長浜行きで爆睡米原16時18分着蕎麦食う金なく16時28分キオスクでプリッツ(100円焼きとおもろこし味)岐阜あたりから座れて青々とした田んぼを見ながら豊橋18時23分着。ここでまたわたしの小型全国時刻表2002年8月号(500円いつのまにか交通新聞社になってた弘済出版社)には掲載されてない連絡していてすぐに発車の浜松行きに乗り継ぎ(またきしめんを食べそこなった)20時05分静岡に着く。

向かいのホームに20時06分発の三島行きがとまっていたし20時19分の熱海行きに乗れば23時26分に東京に着く。でもこれだと熱海で10分ちょっと待つから20時51分の東京行きで23時48分に着くのとたいして変わらない。電車の吊り広告に夜店まつりとかいうポスターがあったので降りてみることにする。

いつもおみやげを買う食品館は8時で閉まっている。駅構内の土産物屋を覗く。去年は下駄展みたいなものをやっていて一足買ったが今年は漆塗りの弁当箱がメインで下駄はいいのが無かった。夜店はどこだろう。所持金もつきたがお腹もへったのでキャッシュディスペンサーを探す。駅を出てぶらぶらしてみる。駅前を工事していて大きな道路が渡れない。地下道へ降りる。人の波がある。それに乗って歩く。路上演奏の若者。今流行りの書なんぞを色紙にしたためてるはずかしい若者群。地上へ出ると夜店の入口だった。ポスターには夜9時までと書かれていたがまだまだすごい人手だ。その中へつっこんでいくことはせずコンビニで3000円を下ろし家人への土産にマグロのカブト煮800円(でかい)を買い駅へ戻り駅弁とビール(鯛めし510円スーパードライ350ml)を買って電車に乗り込み家へ帰ると1時だった。

行き9時間半、滞在6時間半、帰り10時間、計26時間の行程。

前日の夜3時に(わたしが夜行列車に乗っていた時間だ)眠れなくて打ったという「見舞いはいいですよ心配無用」というメールが届いていた。でもちゃんと病院の名前と病室の番号も書いてあったけど。

今日の午前中いつも通りバイトに行き昼に戻ってメルチェするともう歩き回ってます大丈夫だから心配せんでくださいとメール。携帯が充電できないので退院するまで連絡できないと言う。暇らしい。雑誌を置いていったけど何か読むものでも持って行ってあげれば良かったな。文庫本とか。今から送ってもすぐに退院になってしまうだろう。かわりに病院の住所に絵はがきを送ってから昼寝をした。

無理しないでゆっくり良くなって下さいと書いたけれどきっとまた無理をするんだろうなと思う。あいつに無理をするなというのが無理な相談なのだ。きっとまた体を壊すんだろう。そうやって物を作るんだろう。せっかく1ヶ月プロテイン飲んでつけたなけなしの筋肉なのに一週間も入院してたらすぐに落ちちゃうじゃないかまったく。

こっちも体調崩さないようにしないとな。やつを見守るためにはね。