2002/11/09(土) 別にやさしくなんかない。

どう説明しようかなぁ。つまり好きじゃないんだねティッシュの箱が視界にあるのが。本当はクリネックスでハナをかみたいところを我慢しているわけではないと。地球にやさしくしたいために箱ティッシュを使わないようにしているのでもない。バイトでは便利だからペーパータオルも使うしうどんやラーメンは割り箸で食べるのが好きだし。寿司も割り箸がいいなあ。冷奴も割り箸のがつかみやすい。焼き魚やお刺身は先の細い塗り箸がいいですね。だからティッシュを買わないというのは主義主張じゃなくて趣味嗜好の問題、なのかなうまく書けんのだが。

風邪をいいわけにいろいろさぼった。自分にやさしくしてみたがこのやさしさはやさしさではなく身を滅ぼす甘やかしであろう。ツケは自分に回ってくるわけでおおこわ。本の詰まった箱の一番下の箱の中にあったのはもろもろの書類紙類。はがき手紙ノート自分で描いた絵や漫画、楽譜のコピー芝居のチラシ等々。いらんものは捨てる捨てる捨てると思っても捨てられるものはそのほんの何割か。でも死んで誰かにまとめて処分されるより自分の手で始末していきたいのねぼちぼちとでも。この山に手をつけると過去にひきもどされる。複雑な気持ちになるけれどきらいじゃない。悪い気分じゃない。反省、しないでもない。やりのこしたことの多さに立ちすくんでみたり。何かと何かの板ばさみになってみたり。でもこれも先へ進むためには必要なことなんだと思いはするが、あんまり深く沈み込むと浮上できなくなりそうでぶくぶく。。。。。(泡)

家事は修行に通ずるんだって。掃いて拭いて洗って干して煮炊きして片付けて、毎日毎日。それを知ってからのほうがむしろ家事をやることの苦痛が減った。家事と芸術って相容れないような気がしたけどそうじゃなかったんだな。いきなり「芸術」ってなんですけど、クリエイチブっつうかさあ。ずっと「主婦」とか「奥さま」とか「家内」とかそういうもんとは距離を置いてきたんだけどここへきてまたどうしても子供が欲しいと強く思いもうどんな肩書きでも引き受けるからオラを早く母にしてけろって気分。

やっぱり、大事なものを捨てるのってちょっとだけ死ぬのと似てる。本気で100パーセント「死にたい」と思ったことも「死にたくない」と思ったこともは過去にないが時々「生きたくない」じゃなくてなんか生きてねーなーと思うことはある。「行きたくない」は結構しょちゅうある。今のバイト大好きだけどそれでも出かける前にはくそー行きたくねーなーと思いながらまあそれでも行く仕事だから。つまりなんだ日々身辺整理だな。今日を生きるということは今日を死ぬということだ。ちゃんと明日生きるためにきちんと今日を葬る、と。

ハナをかむ頻度もだんだん間遠になってきましてハナの濃度粘度も増して来ましてそれをぶびびっとかみきって出しきった時のハナの中のすっきり感ってのは結構好きなんだよな授業中とか静かな時には気が引けて思い切りかめないのはフラストレーションそういえば最近ハナ風邪引いてないなあの感覚は懐かしいな、なんてことを考えてたら風邪ひいたのでした。つまりすきあり!だったのね。油断したんだぜ。もう堪能したからいいや。いっぱい寝て早く治そ。やることは相変わらず山積み。

結局なんだかんだとっちらかったまま死んでくんだなたぶん。