2002/11/08(金) どれか一冊選ぼう。

宿題いっこも片付かず。風邪を理由に部屋にこもり本をあっちへ積んだりこっちへ積んだり手にとってめくったりまあこういう時間が楽しいと言えなくもないが処分する決心のついたのは全体のほんの数パーセント。広い部屋に住みたいわけではない。今の部屋で十分なのだ。同居人なんかもっと小さい部屋で安く暮らしたいと言っている。持ち物を減らしたいんだ。洋服なんかは割と思い入れがあっても捨てられるんだけど本となると。カセットテープとかビデオソフトの類もなかなか減らせないがなにしろ本が多い。なのに本棚を買いたくない。またいずれ引っ越すことがあるかと思うと。本棚は木で出来ていなくちゃいやなのだ。といって応接セットみたいなガラスの扉がついているようなゴージャスなのはいやなのだ。持っている本を今の三分の一ぐらいに減らせることが出来たら古道具屋でシンプルなしっかりした作りの木の本棚を探そうかと思う。おじいちゃんの家にあったようなの。

おじいちゃんの家は本だらけだった。玄関を入るとまず本。廊下の上には作りつけの本棚。応接間に本。こたつの部屋に本。書斎に本。寝室にも本。書庫。二階の部屋も壁一面本棚。トイレにも飾り棚があってそこに文庫本が一冊。本のないのは風呂場と台所ぐらいでそれでも足りずに裏庭の物置の二階に書庫を増設していた。夏休みのたびにドリトル先生のシリーズを読むのが好きだった。そんなだから家に遊びに来た友達から本多いねと言われてもおじいちゃんの家に比べたらうちなんか全然少ないと思っていた。子供の読めるものは少なかったけれど漫画があるよといっておじいちゃんがくれたフクちゃんとか少年少女漫画集は今も持っている。漫画といっても文と絵が半々ぐらいの絵物語なのだが何度も読んだのでミクロンぼうやとか船でくらす男の子の話とか今でも覚えているから持っているというだけで読み返すことはほとんどない。心の宝みたいになっているから捨てられない。祖父のことは「おじいちゃん」ではなく「おとうちゃん」と呼んでいた。わたしだけじゃなくみんなそう呼んでた。本をたくさん読むとほめられた。本好きになるわけだ。

時々自分で自分に対して独裁政権を行使するから一時期心の宝として蓄えられていた本の数々はある時期がくると無情にもまとめて売りに出された。後悔することもあるがさっぱりせいせいするのもまた自分である。これからも何度も引っ越しが控えているだろうから持ち物は減らしたいのだ。わたしが蓄えた本はわたしにとっての宝ではあるけれどコレクションとしての価値の高いものなどありゃしないから後生大事に持っている必要もないのだ。かさぶたが取れるみたいにあるとき執着が解けて売ってしまえるのがいいな。売れなければ捨ててしまうか。

まだまだ物に執着があるんですね。無理にはがすのは傷がつくもんだし。それも仕方ないか。まぶたの傷もかさぶたが落ちて大分目立たなくなってきてよかった。

今朝別れた男が生々しく夢に出た。これもまだまだひきずっているようだが仕方ないか。明日行くつもりだったコンサートがあるけれど風邪その他で身も心も低調なので見送る可能性濃厚。バイト接客声出るんかいな。そういや二年前の日記も出てきた。ほとんどこんな調子ですね。高校の修学旅行文集も出てきた。ほとんどこんな調子ですね。行ったのは広島、津和野、萩、倉敷。この時初めて日本海を見たのだ。太平洋か日本海かといったらわたしは自分が日本海的な人間だと思うわ。小さい頃海水浴に連れて行ってもらったのは太平洋沿岸だけれども。日本海には惹かれる。住むのは無理かもしれないけれどまた見たいと強く思うあの青の深さ。咳が出るからもう寝なきゃ。結局ほとんどなんにも片付かなかったなぁ。反省する気も起きないなぁ。こうして時間的にはどんどん追い込まれていってしまうのだなぁ。手遅れにならないうちにエンジンかけなきゃな。

さて枕元に持っていく本をどれか一冊選ぼう。

ちなみに昨日はローラ・インガルス・ワイルダーの「はじめの四年間」でした。