2002/08/21(水) 夜中に日記を更新してはいけない。

わたしの場合。

泣いても男よろこばない。

しんだわけでもないし

まだ…

やだ。

よし 復活!

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つまりこうなのだ。やつとわたしは男と女という以前に共に作品を作る同志であり友人であるのだからめそめそしてもしょうがないのだ。思い出づくりじゃしょうがないのだ作品を残さなくては。それは、やる。何がどうなってもやるけれどだから頼むから死ななんでくれと思う。盲腸で入院した。術後麻酔のせいで排尿できず管をさしてもらった。看護婦さんはさすと後が大変ですよと言ったそうだ。細い管が入らず血がつまった。医者が来て太い管をさした。抜糸後退院した。尿道からの出血がとまらなかった。四日後再入院した。友人から今度の入院は長引きそうだと連絡があった。25日からのレコーディングの予定は延期だと告げられた。別に不治の病におかされたわけではない。気長に傷の治るのを待ってそれから作業を続ければいいこと。なのになぜわたしは泣くのだ。先に死なれそうな予感がするから。いやそんなことはわからない。わたしが明日生きている保証はどこにもない。健康だけど。丈夫だけど。飲み会に参加する気満々だけれど。予定通り25日は大阪へ発つつもりだけれど。自分は死にゃしないだろうと思ってる。そしてやつが死んじまうんじゃないかというくだらない考えにとりつかれている。今すぐじゃないにしても。そんな気がしてしかたがない。退院した直後電話で話した。ひとりで退院するのは出所するみたいで嫌ね、とメールをくれた。一人暮しのやつはスーパーで金なくてバッテラ食べたいけどイナリにしようかと迷っていたら退院したばかりで何やってんだオレはとあやうく泣きそうになったと言った。去年アルバム作ったけれどそれがなかったら死んでたかもしれないと言った。ある意味命の恩人と言われた。去年はやばかった前年からかなりやばかった自殺していてもおかしくはかったと。去年の9月11日、前日にレコーディングを終え一日かけてマスタリングを終えふたりで居酒屋で打ち上げをしていたらやつの女友達から携帯にメールが入って「わたしも自爆テロしたい」という内容はなんのことかと思ったら部屋に帰ってつけたテレビで回答をやっていた。それを見てやつは夜中に吐いていた。翌日飛行機で帰る予定のわたしに頼むから金出すから新幹線にしてくれと言った。思い出作りじゃない作品作りだ。でも残る。どうしようもなく残る。あんなことを言っていた、こんなことをした、あそこへ行った、あれを食べた、いっしょに見た景色、共に過ごしたひと時と別々に暮らす毎日。なぜ病院では携帯電話を使っちゃいけないのだろう。ロビーなら? 屋上なら? 持たずに入院したのだろうか。メールも打てないほど具合が悪いと思いたくない。体を治すことに専念しているのだと。それでもたえまなくメールをチェックしてしまうのはパーソナルコンピュータを買ってこの一年毎日のようにやつの携帯とメールのやりとりをしていたからだ。エサをほしくて戸口にたたずむ野良猫といっしょだ。言葉が欲しいのだ。かわりに自分で自分に言葉をかけてみるがたいした役には立たないでも何もしないで泣いているよりはわずかにまし。

吐きました。不安だ。泣きたい。泣いている。でも泣きやむ。泣いてもやつはよろこばないから。頼む早く復活してくれ。