2002/08/15(木) 人を好きになるように物にだって情がうつるのさ。

今日は部屋の模様替えをする。

身動きできるようにするためにはまずいらないものを捨てなければならない。

家人共々、椅子やテーブル本棚などが道に捨ててあるとついつい拾ってきてしまうくせがある。物が少ない時はそれでよかったがせまい部屋を借りて住んでいるのだから拾えば拾うほど住居空間は減る。わたしが処分したプラスチックケースを「いいもの拾った~」と家人がゴミ置場からまたもって帰ってきたときには力が抜けた。

もう一年近く庭に放置してあった本棚をばらす。友人からもらいうけたものと自分で適当に日曜大工したもの。かなづちとバールでとんかんやっていると盆休みの家人が手を出しにくる。手ばかりでなく口も出す。錆び錆びの古釘をたたいて直そうとするのでそれはもういらないと言う。廃材を、いい焚き付けになるから親戚の家に持っていくんだなんて言って電話していたがもう薪のお風呂ではなくなっていたようだ。どうしても捨てたくないらしい。

もういいよ捨てようよ、と思う。

そう言いつつもわたしも10年以上前に買ったレコーディング・カセットウォークマンが捨てられない。もうガタガタで少なくとも3度は修理に出している。まだヘッドは生きているのだがフタがはずれそうでテープをホールドできない状態。思い入れがあるので壊れたからポイと捨てられない。しつこく修理に持って行ったがもう交換パーツがないと戻されてしまった。人形供養などのように電化製品供養塚のようなところがあれば持って行きたくらいだがもしそんなものがあればたちまち巨大なゴミ捨て場になるんだろう。ウォークマンくらいならとって置いてもいいようなものだがその調子で他の物も処分できないから困る。

物に思い入れをする。

その思いを断ち切らないといけない、これも別れだ。

廃車になった自動車やOA機器などの廃棄物置場に溜まっている、ある雰囲気。

あ、そういえばスモーキーマウンテンに行ったことがあるんだよ。フィリピンだっけ。そのとき通ってたキリスト教会のアジア合同礼拝みたいなのがあってね。ピナツボ火山が噴火した年。この頃の記憶は部分的にすごく鮮明でいてどこか非現実的な印象で触れがたいものがあるんだけど。巨大なゴミ捨て山。そこに住んでごみ拾いで生計立ててる人がいっぱいいるんだけどさ。そこで子供たちに会ったんだけどね。街中の盛場で観光客に花を売ってる子供たちより元気で明るかった。パスポートが出てきたら何年前に行ったのかわかるな。もうとっくに期限は切れているはずだ。

と部屋を片づけてると記憶の納戸から忘れてたことがごろごろ出てきて一向に進まん。今はまだ途中でデスクトップパソコンの位置を変えようと移動の途中。すべてのケーブルをはずしモニタも本体もいったん床に置いてふと接続してみる。マウスは床に、キーボードは膝に。なんか楽しい。これでいいような気もする。

こういう引っ越してきたばかりのような適当な落ち着かない感じがたまらなく好きだ。そうしょっちゅう引っ越すわけにもいかないので部屋の模様替えはその代用行為だ。景色が変わるのがうれしい。スピーカーも繋いで椅子の上に置きCDを聞く。いい気分。床の上を這うコード類がものすごくじゃまっけだからこのままというわけにはいかないだろうがまあ今だけこんな状態で。

家人も出かけてしまったし、銀行と買い物、戻ったら風呂入って昼寝でもしよう。