2002/07/24(水) おとといのちゅう、その三。
部屋へ戻ると同居の男が布団の中から、めかしこんでいいことしてきたんだろと言うので「まあね」と答えて服を脱いでシャワーを浴びてそのままタオルケットを巻きつけて布団に横たわる。同居の男にちゅうをかまされる。
「息を吹きこまないでよ」
サキソフォンじゃないんだから。そうダメ出しをすると男はいじけて自分の布団へ戻っていってしまった。ごめんねカマラ。今日はもうちゅうはいらない。
普段は別に「ちゅう」多き人生ではない。そういう習慣もないし、たまたま今夜が、とりぷる・ちゅう・ないと、だっただけだ。それでもキスをするたびにやつの尖った舌を思い出してしまうのには困ってしまった。
♪あん、あん、あん、いみてーしょんごぉぉ(イミテーション・ゴールド)
むしろ他の男とちゅうすることで恋しい男とのキスの感覚が強烈に呼び覚まされてしまう。わたしがちゅうしたいのはわたしがちゅうしたいのはわたしがいまほんとにちゅうしたいのはエンドレス。
会えない時間の積み重ねはドミノの牌のように長い列をなして並んで行く。
長い時間、会うことを夢見て会えた瞬間にドミノの先頭の牌に触れてしまう。くちづけを受けている間、長く列をなしたドミノの札が倒れていく。ぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱた……。体中の力が抜けていく。どんなキスの技術もこれにはかなわない。会いたい、けれど会えない、という「仕込み」の期間が大切なのだ。
古い友人との気持のいい時間はだって12年仕込みだもの。
尻軽女ぶってナンパな誘いに乗ってみたが敗北。二十代前半のわたしってずっとそんなだった。セックスだって受身で特に気持のよいものではなかった。ただ、男がわたしの体を賞賛してくれるのがうれしかった。自分の存在が認められたようで。男の舌を受け入れたって自分から舌をからませていくようなことはしなかった。上にされても困って男を見下ろすだけだった。今回男に「おれのも舐めて」と言われて「いや」と言ったのはあのころ言えなかった本音だった。自分からすすんでするのでなければフェラチオなんて楽しいものではない。わたしは商売女にはなれそうもない。
52の男が言うところのわたしの「わかいツバメちゃん」は、初めて会った相手とのセックス(性風俗)にもファンタジーを感じるという。これは男女の性差なのか個人差なのか。
わたしには「潜伏期間のない恋愛は長続きしない」、という教訓がある。
36年生きてきて学んだ事ってこれくらいだ。
というのはまあ、謙遜なんだけどさ。
月子
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
おとといのちゅうの話はこれで終わりです。
しばらく日記を休むかもしれないけど、わたしはきっと元気ですから。ご心配なく。
お るぼあ
みなさまも良い時間をお過ごしください。