2002/06/04(火) わたしの前世は、情痴のもつれでSEXの最中に首を絞めて殺された女。

雨が降ってきた。乾いた地面に雨粒が吸い込まれていく様子には、何かしらセクシーなものがある。

白い砂ぼこりの立つ広い校庭。運動靴でかき消された石灰の白線。子供の手の平で磨き上げられた赤い鉄の匂いのする遊戯物。アオミドロ、ぼうふらのわいたプール。朝顔のツルがからまるフェンス。

桜の木にアメリカシロヒトリ(ヒロシトリ?)の幼虫が大量発生した。毛虫だ。男子がそれを棒っきれで集めては、シーソーのタイヤにはさんで潰している。くり返し、くり返し、潰している。昆虫の体液が飛び散る。怖いのに見ている。目が釘付けになってしまう。やめて、って言いたかったのに、言えなかった。じっと見てた。

小学校一年生。土曜日の午後、男の子と遊ぶ約束をする。家の窓からランドセルを放り込む。遊びに行って来まーす。昼ご飯食べてらっしゃい。いいの、お腹空いてない。遊ぶ方が大事。一刻も早く一緒に遊びたい。走っていく。その子の家はわたしの遊びのテリトリの一番外側にあった。男の子の家に着く。二階建ての大きな家だった。お昼食べてこなかった。そういうとそこの家のお母さんが驚いて、塩だけでおにぎりを結んでくれた。梅干も海苔もごま塩もない、ただの握り飯。急にものすごくお腹がすく。白いご飯だけのおむすびがとてつもなくおいしく感じた。一食抜く、というのは初めての体験だったのだろう。

残酷な男だった。庭で大きなカマキリを捕まえると、爪きりで首を切断した。やめてって声に出して言っただろうか。かろうじて体と繋がっている首を、カマキリはブラリと動かした。怖かった。男は得意になっていた。わたしが恐怖を感じていることで興奮していたのかもしれない。「残酷」という言葉をまだ知らなかった六歳のわたしは、残酷という概念をその時感じた。彼はどんな大人になったのだろう。

人は誰も自分の中に残酷な面を持っているのだと思う。どんな平々凡々、普通、標準、平均点、常識人、と思われる(思われたい)人の中にもわたしは人の持つ変態性を見る。見るというより嗅ぎわける。みなそれぞれに薄気味悪く、単純で、臆病で、残酷で、無知で、ずるくて、素敵で、可愛らしい。とてつもなく可愛らしい。シーソーではさんで潰してしまいたいくらいだ。

虫は痛くないのだろうか? わからない。

男の両手がわたしの首を包む。その輪はゆるやかに縮んでゆく。親指は気管の上にある。頚動脈が圧迫される。ほんの少し息苦しくなる。わたしたちは見詰め合っている。彼の本意を探る。別の人間の考える事はわからない。わたしの目から涙が流れる。首にまわした男の手の平から感じられるのは憎しみではない。愛撫の時と同じ手だ。わたしに注がれた男の眼差しを読み取ってみる。興味、残虐、興奮、憐れみ、慈しみ、情け、上の空……。

このまま殺されてみるというのはどうだろう。

雨はやんでしまった。雨は好きだ。残念。月

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