2002/05/04(土) 書く快感。

文字を書くことが快楽である。

人頭大のグレープフルーツを圧搾機にかけ果汁を搾り出す。じゅわ。

実際は、両手をテーブルの上に載せ、キイボードをパタパタ叩いているのであるが、脳ミソの内側を散策しているような、ぱっくり割れたザクロの中へ入り込んだ昆虫が、六本の足を使って小さな実のひとつぶひとつぶを探っているような感じ。脳細胞のひとつぶにアクセス。日常生活には役立たない埋もれていた記憶が蘇る。

子供の頃愛読していた雑誌、「少年チャンピオン」と「りぼん」。妹は「なかよし」を買ってもらっていた。雑誌についてきた付録の交換をするのが楽しみだった。

キャンディ・キャンディのノートを手に入れる。表紙にひもがついていて結わけるようになっている。これは、「秘密の日記」だな、と思う。表紙にひもがついているからには読まれちゃならないようなことを書かねば仕方ない。そんなわけで恋をすることにした。

中学1年生だったろうか。お気に入りの男子を何人か心に決めて、彼らとの交流をノートに書きつけた。調理実習で指を切っただれそれ君にハンドエイドを貼ってあげた。夏休みの課題を展示する時に椅子に乗っただれそれ君に画鋲を手渡すとき指と指がふれた。帰りの方向がいっしょになって、分かれ道のところで立ち話をした、云々。

書いたノートはひもを結わいてタンスの中にしまった。これは誰にも読まれちゃいけないもの。時々自分で読み返して、ふう、と甘いため息をつくのだ。いつ処分したのか定かではないけれど、薄茶色の表紙の手触りは覚えている。

昆虫は、食物を探しているのではなく、卵を産みつける場所を探しているらしい。六本の足と触覚を使ってひとつぶひとつぶ実を確認してゆく。

漫画の主人公に憧れるような空想的な恋愛ごっこを子供じみた遊びと思うようになったのだろうか。同年代の男子にも興味を持てず、学校の教師にトキメクこともなかったわたしは、ある役者に熱を上げる。高校の制服を着たまま埼玉から電車に乗り、地下鉄を乗り換え六本木の地下劇場に通えるだけ通った。芝居の上演後、楽屋口に待つ人々の中に混じって、握手をしてもらった。わたしにとってファーストキスよりも価値を持つ、肉体的接触。後ろ髪を引かれる思いで泣きそうになりながら地下鉄の駅まで走った。あの時の演目は「マクベス」だ。

今でもその役者の出演する舞台は見に行く。楽屋を訪ねると覚えていてくれて、「あの頃は高校生だったんだもんなあ」と感慨深気に言われる。「子供はまだ?」とも。雑誌に載っているのを見たのだが、彼にはわたしよりも十以上若い奥さんがいる。小さな子供もいる(大きな子供もいる)。妹の働くレストランに、時々家族で来るそうだ。わたしの初恋の相手は、なかなかやるお方なのだ。

年を重ねるほどに自由に。重力にさからうよりは、やさしい。コツは必要だけど。

台所で、アスパラガスに小バエが発生しているのを発見。ラーメンに入れようと思ったのに。外へ出てハエを逃がしよく洗って茹でて食べた。おいしいじゃん。

家人は布団にもぐりこみ、プレイステーションで遊んでいる。この間はパイロットになろうとしていたが、今度は戦車乗りになるのだという。ふうん、がんばって。わたしは脳内散歩のつづき。虫の卵が孵るまで。

 

月子

PR>>>>>千日前変態倶楽部