2002/02/14(木) パリ夫君、半年振りの電話がわたしの誕生日なんて偶然とはいえよくできた話。

昨日は古い友人から国際電話。

パリに住む31歳の男。ここではパリ夫君と呼びましょう。

パリ夫君はわたしにとって出会いの恩人。今つきあいのある多くの
友人知人はパリ夫君との出会いがなければ知り会えなかった人たち
ばかり。わんわんとの直接のリンクは彼だし、男2.5(この呼び
方もなんとかしたい)に興味を持ったのもパリ夫君から前評判を聞
いていたせい。その他にも今につながる大切な出会いがたくさんあ
った。

男2.5のところで戦士に初めて会ったとき「パリ夫君に似てる
な」と思ったものだ。

大事に大事に育てられたいわゆる「ぼんぼん」で、そのくせ世間と
折りあいが悪く、女の兄弟とふたりっこで、男っぽさがあまりなく、
10代に反抗期を経験してない。ひとくちで言っちゃえばマザコン

ああ、戦士と言えば。

あまり積極的に自分の誕生日をアピールするのを照れくさいと思う
わたくしは、前に一度「わたしの誕生日はバレンタインの前日」と
話題にしたことに望みをかけて待ちの体制に入った。

金がないのはわかってるからプレゼントは期待しない。でも覚えて
たらメールくらいくれるだろう。

あ、でもその前に携帯電話の充電機手に入ったのかな? メールを
出せる状態にあるのか? と思って軽くジャブ。短いメールを送っ
てみた。

すると返信が。

「明日とどくと思う。たぶんママンのチョコと一緒に。嫌だわ。充
電はコンビニでできました。だからメール大丈夫。カマン!」

忘れてる……。

しかも、わたしもママンと同じようにバレンタインのチョコを郵便
で送ってしまった。ちぇっ。お姉ぇ言葉なのは戦士が時々使う冗談
ですが、こういうところもパリ夫君と似てるんだよな。

カマン! と来られたので、じゃわたしも返信を。

「『件名:わたしもチョコ送っちゃった……。』ママンと一緒はい
やだな。仕方ない。着くのはあさってかも。(中略)ところで、今
日はわたしの誕生日なんだけど。何か愛の言葉を送ってくれ。月」

戦士の誕生日には彼は実家にいたのでわたしからは絵葉書を送った
のだ。ハッピー・バースデイとだけ書いて。そして戦士はわたしの
誕生日にこんな言葉をくれた。

「誕生日ありがとう。月子さんがその年まで生きててくれたおかげ
で僕はなんとか生きてます。バイト先の人に言われて嫌だったわり
にちゃっかりバレンタインしてますな。でもありがとう。単純に貴
重な食料としてうれしいです。気持ちは重すぎて今の僕ではうけと
められんが、あとホワイトデーの三倍がえしも無理か。バースデイ
はだんなには祝ってもらったのですか?まぁいいかそれは。とにか
くおめでとう。プレゼントなくてごめんなさい。せめて愛を。なん
て。」

「誕生日ありがとう」だって、変なの。初めて聞いた。でもまあ何
となく感謝の気持ちは伝わってきます。「バイト先の人に言われて
嫌だった」というのは、バレンタインの話題になった時に「うちは
そういうのなしです」というわたしの言葉に対し、そこの若い営業
さんが、

「またまたぁ。そんなこと言っちゃって、だんなさんに手作りのチ
ョコあげちゃったりするんじゃないスかぁ~?」

と言ったその言い方が、いかにも営業くさくて嫌だったという話を
前に電話で戦士にしたから。

「単純に貴重な食料としてうれしい」。まさに戦地に救援物資を送
ったって感じやね。

わたしが送ったのも、手作りじゃなく店で買った分厚い板チョコ。
前にわたしが戦士の部屋で携帯食料として持っていたチョコレート
をわけてあげたことがあって、そのベルギー製のチョコの味を戦士
が気に入っていたので、それと同じシリーズのにした。特別な包装
もなし。ちょっとキレイな封筒に直接入れて切手はって送った。

「ハーシーのチョコって甘すぎるしなんか、クセがありますよね。
前に月子さんにもらったあのチョコはおいしかったな」

と言ってたのよ。11月だったかな。ベルギーのチョコ食べたのは
5月くらいのはず。よく覚えてるな、と思った。まあわたしもだけ
ど。

好きな相手ができると、その人専用のデータベースが頭の中に発生
して、どーんなつまんないような小さなことでも記憶してるんだよ
ね。で、必要に応じて取り出して、役に立てたり、自分のためにリ
ロードしたりね。

じゃあ戦士の頭の中にあるわたしのデータベースに誕生日は書き込
まれてなかったってことか、ちょっと淋しいな。でも愛の言葉を送
らせたのでよしとしよう。1月に厄よけのお守りももらったしね。

話をパリ夫君に戻そう。

パリ夫君の電話も誕生祝ではない。先日、一時帰国しているパリ夫
君の恋人に会って彼の近況を聞いたわたしが、仕事用のホームペー
ジの日記(根っから日記好き)に「活路を見いだしてほしいもの
だ」と書いたのを読んで、「僕は大丈夫です」と言うために電話し
てきたのだった。

電話してくる時のパリ夫君は「躁」。

「鬱」になるとまあ、包丁砥いだりしちゃうらしいんだ。恋人の話
によると。もともと日本にいるのがいやで逃げ出すようにパリへ行
ったので驚きはしないが、泥酔状態でくすりを飲んで通りをべろん
べろんになって歩くってのはどうかと思うぞ。決して治安のいい場
所に住んでいるのではないらしいし。

わたしがはじめて出あった時のパリ夫君は上京してきたばかりの大
学生だった。10年以上前の話だ。わたしは19歳のパリ夫君を、
頼りない、捕らえどころのない男だと思ってたけど、わたしの女友
達は「かわいいな」と思っていたらしい。背が高くて180センチ
メートル以上ある。

しばらく会うことがなくなって(わたしが教会に入り浸っていた)
3年ぶりに再会し大勢で飲んだ。みんなで泥酔し、わたしはパリ夫
君の部屋へ転がりこんで、朝起きるとふたりとも裸でベッドに寝て
た。

覚えてないんだよ~ん。もったいない。居酒屋で、メニュウの影に
隠れてキスしたのは覚えてる。出会ったばかりの頃わたしのことを
「好きだった」と聞かされて嬉しくて泣いたのも。わたしも若かっ
た。そしてみな大酒のみだった。(パリ夫君は今でも)

そんでも居酒屋のサンダルを履いて帰っちゃうほど酔っぱらったの
はこの時だけだ。別の人の証言によると、わたしは他の男に膝枕し
てやってたらしい……。覚えてねー! 酒は怖いよ。

当時会社勤めをしていたわたしは、パリ夫君の下宿を出て自分の部
屋に戻り、靴を履き替え会社に行った。大遅刻。そしてものすごい
二日酔い。駅のホームで吐いた記憶がある。なんでさぼっちゃわな
かったんだろう会社。そのままパリ夫君のベッドで寝てればよかっ
たのに。

でもそうしなかったのは、パリ夫君がその時好きな人が他にいる、
と気づいていたからかもしれない。何年か前の恋心を告白されたこ
とで、わたしはパリ夫君にかなり強烈な片想いをしちゃうんだけど、
その数ヵ月後にパリ夫君を通してわんわんと出会い、同棲をはじめ
るのである。

わんわんを境目としてわたしのつきあう男は、年上から年下に逆転
する。

戦士よりもパリ夫君のほうが女にはもてるみたいだな。わたしが片
想いしてる間にも、恋人のほかに手を出しちゃった女の子がいたみ
たいで、なんか苦労してたよ。ふたまた、とかじゃないんだよね。
多分。さばききれてなかったもん、全然。なんだろう、好かれちゃ
うと相手に逆らえない感じ。習性みたいなものか?

パリ夫君と現在の恋人はうまく行ってるみたいだ。ふたりで老後の
面倒はどっちが見るか、下の世話は? などと話し合ってるらしい、
ってあのね。そりゃまだ早いって。30そこそこの若者が。一足飛
びに老人になりたいのだろうか。そうなのかもしれない。

戦士も長生きなんかしたくないって言う。長生きは不幸でしかない
って。30まで生きれればそれでいいって。太宰治はいいときに死
んだ。作品が残ればそれでいい。なんて、フン! いかにも若者が
言いそうなこと。戦士に死なれたらわたしだって困るわ。

さて。月子、女36歳。

今後の人生に期待。by月子本人。

じゃあまた。

月子

○○○○
いちおうわたしなりにバレンタインに参加してみました。地味です
が。「裸の月」は回顧録じゃなくあくまでリアルタイムの日記で、
と思ってるんですがあまりにいいタイミングで友人が電話をくれた
ので今回は「思い出の期」って感じになっちゃいました。それもた
まにはいいかな。過去があるから現在のわたしがあるんだものね。

「裸の月」1月号をお読みになりたい方はメモにてご一報ください。
折り返しアドレスをお教えいたします。月子